2017/08/02 01:15
マスコミ内定者ES添削レビュー(長文)
西南学院大学で就職活動講座を担当し、ES添削を続けて3年。
そんな中で出会った、一人の就活生が、全国紙の新聞に内定をいただきました。
彼女が書いてくれた、渾身の就活ふりかえりと添削の感想をこちらに。
《全国紙内定 Tさん》
6月に内々定解禁となる代に就活生であった私は、5月まで海外留学をしており、かなりスタートが出遅れた形になった。新聞社に就職したいという思いだけは強くあったため、帰国後でも間に合う地方紙や、全国紙の秋採用に向けて、エントリーシートを書き始めた。周りの友人は早くから就職活動を始めていて、6月になるとほとんどの人が数社の内々定を得て、就活を終えている状況だった。そういう友人たちは経験者として貴重なアドバイスをくれる存在であったものの、今振り返ると私は心の中でかなり孤独を感じていたのではないかと思う。必死でエントリーシートを書くところから始めていたが、その作業がとても苦痛だった。そのころ、一番行きたいと思っていた新聞社からの不合格通知を受け取った。留学前から憧れていた会社で、新聞の面白さを教えてくれた会社でもあり、その社に入りたいがために突っ走ってきたようなものだった。その夜には、晩御飯も食べず自室にこもって泣き続けた。これからどうしようと不安に駆られていた。
立ち直りきれない私の姿を見て、友人の一人が有村先生を紹介してくれた。初めて先生にお会いしたとき、精神的にまいっていた私は、ESを差し出すのを躊躇してしまうほど自信をなくしていた。ESに目を通し、数十秒のうちに先生の口からはぁーっとため息がこぼれたのを、今でも覚えている。「あなたらしさが全然伝わってこない。設問に『自由に』とあるのは、あなたの人となりをみたいんだよ」。一人で突っ走って書き上げて、「きっとよくないESなんだろうな」と心の中で思いながら苦し紛れに完成させた文章だった。先生はその心を文章から見抜き、ごまかすことなく私に伝えてくださった。そのとき、心の中で膨らみ続けていた不安の堰が切れた思いだった。初対面の先生の前で涙を堪えきることができず、ぼろぼろと泣いてしまった。その時点で、ある全国紙の秋採用のESの締め切りが一週間後に迫っている状況。すぐに内容の見直しをしなければならないことだけは理解していたが、何から手をつけるべきなのか、私一人では全く分からない状態だった。「自分の取材ノートを作ってごらん」と、茫然自失状態の私に、先生はヒントを差し出してくださった。「仲の良い友達や家族に自分の長所や短所を聞くのでもいいし、自分が好き・嫌いな、もの・ひと・ことをまとめてみるのもいいよ。好きな言葉を思い出すのでもいい。もっと自分のことを知る作業をしてごらん」。それから、次の添削予定日の2、3日後まで、滅入った心を奮い立たせて、多くの友人・家族・教師などに連絡をとったり、直接話をしたりした。人付き合いが丁寧なところ。よく笑うところ。自分の考えを素直に伝えられるところ。行動力があるところ。いろんな人に話を聞き、私を知る人の、私に対する印象は、共通するものがあることに気づいた。同時に、私が勝負すべき私の強みがぼんやりと見えてきた。また、この作業を通じて、多くの人があたたかく見守ってくれていることを知り、「私は今まで孤独に闘いすぎていたんだな」と反省した。「考えすぎるところが悪いところだ」と友人に短所として指摘されていたため、就活について異常なまでに思い詰めていた自分の姿にハッと気づいたことで、心の負荷がいくらか減った。
次の添削の時間に、周囲の人々から聞いた意見と自分の好き嫌いをまとめたメモ帳を、先生に見てもらった。次なる課題は、発見した私のアピールポイントを、どのような切り口で文章として構成するかということ。自分の良いところというものは、一場面だけで表れるものではなく、さまざまな場面で発揮されてきたはずである。自分の性質・人柄を表す軸を見つけたら、どのようなエピソードを面として切り出してもいい。趣味でもアルバイトでも留学でもいい。そう有村先生に教えていただいた。それまで私は、サークルや部活に打ち込んできたわけでもなく、アルバイトで劇的な功績を上げてきたわけでもなかったので、人に語れるエピソードなんて自分にはないと思い込んでいた。インターネットで良い例として上がっている自己PR文や、学校の就職支援イベントで見せられる志望動機の例を見ては、自分も「素晴らしいエピソード」を書かなきゃ、という思いに駆られていた。今思うと、この先入観がとても私をとても苦しめていた。先生と話しながら、写真を撮ることはずっと好きでやってきたので、趣味のカメラを切り口に書いてみようと決めた。実際に書き始めると、それまで苦しいと感じていた文章作りが、嘘のようにワクワクしたものに感じられた。自分の感情に素直になれたことで、書くことを楽しめるようになったことは、大きな変化であった。かなり急ぎ足で完成させたESであったが、最後の最後に有村先生にチェックしてもらい、「良くなったね」と言ってもらえた。エピソードだけではなく、言い回しや細部の表現についてもギリギリまで粘り強く考え、アドバイスをくださった。渾身の文章を載せたESは無事に通過した。ESを書く作業をする上で頭の整理もできたので、1次・2次面接でも下手に飾ることなく話すことができたと思う。しかし、最終面接まで進んだ末、当日の夜に電話が来ることはなかった。
留学で就活が遅れたことや、その時点での新聞社への憧れを捨ててしまうことはしたくないという思いが強くあったため、もう一年、新聞社受験に挑戦することに決めた。簡単な決断ではなかったが、有村先生も背中を押してくださった。前年度に教えていただいたことを大切に覚えておき、次の春採用のESを作るときにも意識するようにした。とはいうものの、就職浪人というプレッシャーがついてきて、文章を書くのがつらいと再び思った時期もあった。そのときに書いた文章を先生に見てもらったときは、やはり「文章が堅くなった」「あなたの人となりが見えないよ」とご指摘を受けた。拙い文章を見せる後ろめたい気持ちを持ちながら差し出した文章が、先生に褒められることはなかった。それから、2年目である今年、私のどういう点を全面に出していくべきなのかについて真剣に考えてくださった。先生と話して心が軽くなった私は、先生からたくさんのヒントをもらいながら、また楽しい気持ちで鉛筆を走らせることができた。
長い道のりであったが、無事、来年から全国紙の記者として働くことが決まった。前年度に先生と初めてお会いして号泣した日から、本当に長い闘いだった。ただ、その期間の葛藤や、自分と向き合った時間は決して無駄ではなかった。そして、その過程は、有村先生なしにしては通って来られなかった道であったと心の底から感じる。有村先生は私にとって、単なる添削指導者ではなく、就職活動全体の方向性をさりげなく示してくれる、メンターのような存在であった。先生の後押しに何度も救われた。人に自分の書いた文章を見せるというものは、新聞記者志望の者からしても勇気のいるもの。でも、先生は学生の書いた文章にむやみにNOを突きつけたり、一方的に考えを押し付けたりはしない。どうすれば「私らしさ」が光る文章を作り上げることができるか、一緒に頭を悩ませながら考えてくださる。就職活動をする上で先生に出会えたことを思うと、なんだか感慨深い。先生にも、紹介してくれた友人にも、感謝の思いが尽きない。
余談であるが、先生に就職活動の結果を報告した際、心から喜んでくださった。そして、この感想文を「宿題」として出された。期限はその日から一週間。綴りながら、なぜ先生が「宿題」と言ったのか、なぜわざわざ締め切りを指定したのか、分かった気がする。文章と真剣に向き合うこと。期限を守ること。これらは記者という仕事をする上で欠かせない事柄だ。先生は、添削して終わりではなく、記者の卵となる私に、今後も絶えない期待と応援をしてくださっているのだと思う。これから就職をする私であるが、その応援に応えられるような、立派な記者になりたい。記者として記事を書く上でも、先生と過ごした添削時間の20分から学んだことたちは、かならず生きるはずだ。